ハードロックバンド 「うまかBOW」は70年代から80年代のハードロックをこよなく愛する同い年の社会人5人によって1992年の年末に結成されました。山形県酒田市中町のライブハウス
「ブルース・ヒロ」の大晦日恒例ライブに個々のバンドで参加していたメンバーが、前座がわりに遊びでグランドファンクのナンバーをセッションしたのが始まりです。
この日の演奏に自分たちで感動したメンバーは以来、学生時代に憧れていた様々なバンドの演奏を再現することに取り付かれていったのです。 凝り性のメンバー達のパフォーマンスはライブを重ねるごとにエスカレートしていきました。本物と同じ様な演奏、基本的にライブバージョンをコピーし、ミストーンも再現する。本物と同じ楽器を使う。同じ衣装を着て、同じような髪型にする。もちろん、すべてが同じ、というわけにはいきません。ヅラをかぶる、もみあげを付ける、ヒゲを描く、など似せるためなら手段を選びません。ない物はかっこうだけでも作る(しかもなるべくお金はかけない。)、姿、格好が似ているのならパート・チェンジも辞さない。むしろ演奏内容よりもその雰囲気作り(笑)に限りない情熱が注がれていると言っても過言ではないでしょう。
このようにして、一見型破りとでもいうような「うまかBOW」のパフォーマンスは完成されて来たのです。
数ヶ月のローテーションによって演奏される、マイケル・シェンカーや、リッチー・ブラックモアなどのギター・ヒーロー物、グランド・ファンクなどのアメリカン・ハードロック物、などのネタ(うまかBOWでは各レパートリーをこう呼びます)は6年間で70公演、8つを数え、再演されるごとにさらにその精度を上げつつあります。
近年ではボーカルの高橋君がFM番組のパーソナリティーを務めるなど、メンバーの活動は多才。
さらに97年の6月からは各地のアマチュアバンドに先駆けてインターネットにホームページを開設。ライブ情報やレポート、各ネタ別に専用ページを設けるなど意欲的に情報発信を行っています。
その効果もあってか、近年は地元以外の秋田、仙台などでの演奏の機会が増えつつあります。
さらに99年2月には本家FMA(フレディーマーキュリー協会)の後援をうけ、クイーンネタをひっさげて、念願の東京公演も実現しています。
なぜコピー・バンドにこだわるのか。オリジナルはやらないのか?これまで数々のバンドを渡り歩いてきた「うまかBOW」のメンバー達です。以前はオリジナルバンドで演奏、プロを目指し、いい線まで行っていたメンバーもいます。もちろん「うまかBOW」のオリジナル曲もありますし、これからオリジナルを演奏することもあるでしょう。しかし、あくまで基本はコピー、これなのです。音楽を趣味とする以上、楽しくてなんぼ、面白くてなんぼの世界。どうせやるならメンバーが一番楽しみたい。そしてお客さんにも楽しんでもらいたい。現在、ともすれば失笑を買うような、70年代から80年代のハードロックの楽しい疑似体験。「うまかBOW」が目指すのはそんなステージなのです。
ここまで長々と書きましたが、それじゃ「うまかBOW」はただの猿まねバンドなのか? そう!いやいや、もとい、それは大間違いです。どんなネタ(うまかでは各レパートリーをこう呼びます)を演奏していても、そこには「うまかBOW」の「音」があり、各メンバーの個性がにじみでているのです。これだけはこのホームページでは伝えきれません。このホームページで、臨場感あふれるライブ・フォトをみたら、次はぜひライブへお越し下さい。絶対に損はさせませんよ!!
「うまかBOW」のスーパーギタリスト、堀 美材。13才でギターを手にし、15才〜18才の頃には「 Farming Corporation」を結成、Grand Fank などのナンバーをプレイしていたという。8年間の東京生活ののち山形県酒田市へ帰省、「Black&Blue」のVocalistを経て、'91年、伝説のバンド「猛烈マシン」を結成。こどもばんど、すかんち、クイーン、ジミヘンなどの演奏でおおいにシーンをわかせた。'94年からは「うまかBOW」での活動に専念している。
ギターヒーロー物の多い「うまかBOW」で一番重要なギタリストという役どころ。「うまかBOW」が様々なネタを演奏出来るのも、彼の卓越したテクニックとセンスに負うところが多いと言えよう。もちろんその苦労は計り知れないものがある。なぜなら、次々と新しいギターを買わねばならないからだ(笑)。マーク・ファナーやリッチー、ブライアン・メイなどこれだけ器用に弾き分けられる男は彼ぐらいなものだろう。歌が歌えるのも強みだ。
「うまかBOW」のスーパーボーカリスト、高橋 禎彦。14才の頃フォークグループ「親指姫」でキャリアをスタートさせる。17才の頃、Rainbow等をプレイするバンド「London Boots」を結成。高校卒業後には伝説のバンド「シャネルの五番」(のちのVIB)に参加、'92年、「うまかBOW」のドラム、新舘 司らと結成したオリジナルバンド「ZEAL」では'93ヤマハMUSIC QUESTの山形県代表に選ばれている。'94年からは「うまかBOW」での活動に専念。
名実共にバンド「うまかBOW」のフロントマン、顔でもあるボーカリスト。広い音域とタフなノドを要求されるハードロックバンドの中にあって、彼の歌唱力と声量は抜群だ。なにをかくそう大音量のこのバンドの中で、一番うるさいのは彼のシャウトなのだから(笑)。そのルックス、それとはうらはらな、りゅちょうな庄内弁(遊佐弁?)のMCに魅せられるファンは多い。スポーツ万能の幅広い趣味と、その明るいキャラクターを買われ、この夏からFMのパーソナリティーに抜擢されている。
「うまかBOW」のスーパードラマー、新舘 司。15才よりスティックを握る。18才の頃にはRainbow等をプレイしていたという。'89年より「安眠妨害」に参加、ポップスナンバーをプレイしていたが、'92年より「うまかBOW」のボーカル、高橋 禎彦と共に伝説のバンド「ZEAL」に参加。山形県代表として'93ヤマハMUSIC QUESTの東北大会を経験している。'94年からは「うまかBOW」での活動に専念している。フェイバリットはホワイトスネイク時代のイアン・ペイス。ゆえにその顔マネは絶品だ。
ハードロックバンドの要、重いビートを叩き出すドラム。彼の安定感のあるプレイには定評がある。スタジオの中でメンバーが耳栓をしているのも、彼の繰り出す強烈なリムショットから耳を守る為なのだ。明るい性格からバンドのムードメーカーとしての役割も大きい。週末には精力的に接待ゴルフもこなすナイスガイでもある(笑)。
「うまかBOW」のスーパーベーシスト、金子 佳希。17才よりベーシストとしてのキャリアをスタートさせている。ハードロックから日野照まで、幅広くカバーしていたという。8年間の東京生活ののち山形県酒田市へ帰省、'91年「うまかBOW」のキーボード、今野文英と共に、伝説のバンド「Vogue's Bar」を結成、達郎系オリジナルポップスをプレイ。ホールクラスのライブも行っている。ロックから多弦ベースでのチョッパーソロまでこなすテクニックで、一時は5バンドのかけもちをする売れっ子ベーシストだったが、'95年からは「うまかBOW」での活動に専念している。'97年、鶴岡ミュージック村15周年記念バンドコンテストで、ベストベーシスト賞受賞。クイーンのネタ(うまかQ)ではフレディ金子となってフロントに立ち、熱唱する。
ハードロックには欠かせない、重低音をとどろかせるベース。色々なバンドで様々なスタイルのベースプレイを披露しながらも、彼の根底には、いつもハードロックがあった。かつてないほどの大音量でブイブイベースを鳴らす今の彼は、まさに水を得た魚の様である。そのアグレッシブな行動は時としてバンドに新しい方向を提示することも度々である。メンバーがここまで衣装や顔マネに凝りだしたのも、メル金子のヒゲと振りマネがきっかけだったし、いまでは抜きにしては語れないクイーンのネタ(うまかQ)も彼の存在なくしてはありえなかっただろう。その手先の器用さから、バンドに必要なギターがあれば自作してしまう「うまかBOW」工作班長。サーキット走行もこなす彼のもう一つの趣味は、愛車ポルシェ・911ターボをドライブすることだ。独身。
「うまかBOW」のスーパーキーボディスト、今野文英。5才よりピアノ、13才よりギターを始める。仙台を中心に活動していたトリオ、伝説のオリジナルハードロックバンド、「MARKIES」を18才で解散するまでは、ベースの担当だった。山形県酒田市へ移り住んでからは、'85年、キーボードに転向。歌謡ロックバンド「BIRD」ではオリジナル全曲を提供、5台のキーボードを並べてのパフォーマンスは話題を呼んだ。'90年、自身のリーダーバンド「ThrowMoney」を結成、ギター・ボーカルを担当する。'91年「うまかBOW」のベーシスト、金子 佳希と共に「Vogue's Bar」を結成、ギタリストとして活動する。並行していくつかのセッションに参加したのち「うまかBOW」に参加。'96年秋にニューオリンズファンクバンド「Bon temps ro'uler」を円満退団したのちは「うまかBOW」での活動に専念している。
ハードロックのキーボードにこざかしいテクニックは不要である。必要なのは歪んだオルガンサウンドとガッツだ。彼のプレイはまるでそういわんとしているようだ。曲のエンディングで見せる過激な足弾きは、彼の専売特許ともいえる。ギタリストとしてのキャリアも持つ彼にとってUFO/MSGネタのポール今野役は、まさにはまり役、といってもよいだろう。ライブではアナログにこだわる彼も、自宅ではMacintoshを駆使してのハードディスクレコーディングもこなす。マルチメディア担当の彼の大仕事はバンドのホームページ作成である。そう、なにを隠そうこの文章も私が書いているのだ(あー赤面)。
「猛烈マシン」で「うまかBOW」ギターの堀 美材と活動を共にしていたドラマー。「うまかBOW」ドラムスの新舘 司 が多忙だった、'94年〜95年頃助っ人としてドラムを担当。その人柄と強力な順応性でバンドを好サポートした実績は大きい。現在はニューオリンズ.ファンクバンド「Bon temps ro'uler」でパーカッショニストとしての道を歩んでいる。