PART4〜カッパドキアへ〜
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イスタンブール三日目。今夜イスタンブールを発つ。次の目的地、
カッパドキアへは長距離バスを使うが、そのバスステーションまでの
シャトルバスが6時にhighlanderの前に来ることになっている。イス
タンブールには帰りにまた戻ってくるが、とりあえず前半の最後の市
内見学をする。アヤソフィアをチェックアウトして町に出る。そろそ
ろ客引きにも慣れてきた。
「オチマシタヨ」といって注意をひく戦法
も軽くあしらう。
聖ソフィア(AYASOFYA)(free)

われわれの泊まっているホテルと同名だが、当然ホテルのほうが真似
したもの。325年、ビザンティウムに遷都したコンスタンティヌスII世に
より、ギリシャ正教の総本山として建てられるが、 1453年にオスマント
ルコによってコンスタンティノープルが陥落すると、イスラム教徒により
尖塔がつけられ、偶像崇拝をを禁止するためにモザイクやフラスコ画が漆
喰で埋められてしまう。しかし現在ではその漆喰は取り払われ、キリスト
教の文化がイスラム教のモスクの中にあるという、不思議な空気を漂わせ
ている。但し我々が訪れた時は改修工事中で少し興ざめだった。教会とし
ては世界で4番めの大きさ。
グランドバザール
今度はちゃんと開いていた。客引きが凄い。しかし旅は始まったばかり
なのでお土産を買うにはまだ早い。
シュレイマニエジャミー
イスタンブールで最も大きなモスクで、偉大なるスルタン(イスラムに
おける皇帝)、シュレイマン1世が大建築家ミマルスィナンに命じて造ら
せたもの。我々が訪れたときはお祈り中でしばらく外で待っていた。そこ
でトルコのパン(10bin、20円)を買い、外の便所で初めてイスラム式便所
を経験したりする。因に「ジャミー」とは「モスク」の意。
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これらをまわった後、ガラタタワーに行くことにした。グランドバザー
ルを抜け、ガラタ橋を渡る。このあたりはバザール周辺の市場がつながっ
ていて、物売があふれ、特に子ども達が多い。この貧しい子ども達はおも
に東から流れてきたクルド族で、イラクに追われて難民になり、しかしト
ルコ政府にも迫害されてスラムのような生活を強いられている。
IREMなど
とは全く別世界に住み、この国の貧富の差を改めて感じた。しかし子ども達
はそんな様子はおくびにも出さず、明るく生活を楽しんでいるようで、水を
買った子どもと仲よくなり、写真を撮ろうとするとどこからともなく数人集
まってきてちょっとした撮影会になった。

ガラタタワーは、かつてヴェネツィアと並び、地中海の交易でヨーロッパ
を席巻したジェノヴァの、ビザンツ帝国内の居住区の中にあり、タワーは船
の航行の安全を守るランドマークの役目をしていた。

ガラタタワーまでの道のりは坂道でちょっとしんどかったが、
タワー(75bin、150円)からの眺めは素晴らしく、イスタンブールの町や
ボスポラス海峡、金角湾などが一望できる。
賢固で知られたコンスタンティノープルの都だが、オスマン帝国による
陥落前に唯一、他者の侵入を許したのが1204年、第四次十字軍遠征による
ラテン帝国建国の際である。これはコンスタンティノープル唯一の弱点、
この金角湾方面から侵入を許したためであった。オスマン帝国の
メフメトII世は当然この歴史を知っており、この策を取ろうとしたが、
それを見越したビザンツ帝国のコンスタンティヌス帝は、ボスフォラス海峡
からの金角湾の入り口を小型船と鎖で封鎖し、完全に金角湾への侵入を
阻止したはずだった。ところが、メフメトII世は驚くべき作戦に出る。
なんと、ボスフォラス海峡からジェノヴァ居住区を通し、馬や木製の
レールを使い、陸伝いで船を金角湾に導いたのだ。そしてこれが決定要因の
一つになり、1453年、コンスタンティノープルはオスマン帝国の手に落ちる。
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| ガラタタワーからの、イスタンブール市街の眺め。レンガ調の色彩が目立つ。 |
帰り際に道端の屋台でドネルケバブ(30bin、60円)をたべる。あまりの
しんどさにタクシーを使いアヤソフィアへ。
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有名なドネルケバブ。羊の肉の塊をあぶり、注文があると 数枚そぎおとす。ステーキのように皿に盛ることもあるが、 パンにトマトやレタスといっしょんにはさんで食べることが 多い。トルコ人のもっともポピューラーなファーストフードだ。 |
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さて、6:00をちょっと回った。バス停へのシャトルバスは来ない。やはり
トルコ人はいい加減だなあ。
6:30を回ってもまだ来ない。心配になってくるMの横で仏と桃はIREMと
紙飛行機で遊んでいる。ノンキなやつらだ。
シャトルバスが遅れて、長距離バスに乗れなかったらどうなるのだろう、
と考えていた、もう7:00になろうかという頃、ようやくシャトルがきた。挨
拶もそこそこに我々はバスに飛び乗る。おっちゃんはメチャクチャ焦ってい
て、他の場所で何人か乗せた後、すごい勢いでバスターミナルへ向かって
行った。それはもう車というよりは、ビッグサンダーマウンテンに乗って
いるような気分で、バスターミナルに着いた頃は皆夢見心地である。
何とか長距離バスにも間に合ったようで我々はこれから次の滞在地、
カッパドキアに向けて、このバスで夜を開かすことになる。運行時間は
12時間。全てがボロいトルコで、唯一長距離バスだけは立派で、三菱か
ベンツかどちらかのようだ(我々はベンツ)。動き出すと添乗員が香水
をくれる。一種の匂い消しみたいたなもので、手につけてゴシゴシする。
ここで注意は、かなり匂いがきついので、直接鼻に近付けて嗅ごうとする
と頭がガーンとする。添乗員の兄ちゃんと目があって笑われる。
途中、二、三度バスは休憩をいれるが、運転手、添乗員とも英語ができ
ないので非常に苦労する。イスタンブールでは英語はもちろん、日本語も
しゃべれる人もいたのだ。今どこにいるのか、あるいはここで何分停まる
のか、ということが全く分からない。夜の暗さと相まって、我々はえもい
われぬ不安を覚えだした。
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午前二時頃だろうか。我々はある停留所で、それが朝食券であるという
ことを何とか聞き出した紙切れで朝食を取っていた。そこへ、一人の怪し
い若者がやってくる。
「カッパドキアに行くのですか」
「はい」
「ならばここでバスを乗り換えてください。」
highlanderではそんなことは言ってなかったぞ。.....やばい!
誘拐される!
「大丈夫です。私はあなた達のツアーのものです」
差し出された名刺には確かに「GAZI
TOUR」と書かれていた。信用してい
いものだろうか。無視してバスを乗り換えなかったら、その言葉通り違うと
ころに行ってしまうかも知れないし。でも最近日本人が誘拐されたばかりだ
しなあ。
ここは一世一代の判断をしなければならない。四人は顔を見合わせ
るが誰一人明確な回答を口にするものはいない。怪しい男についていって誘拐
されるか、信用せずにこのまま知らない土地にたどり着くのか……。