PART6〜陶芸家桃〜
朝食はホテルの超リッチなバイキングがまっていた。
マナーを知らない我々は何度も何度もおかわりをする。
満腹になるまでしこたま食ってチェックアウトをすまし、
豪華なロビーでバスの来るのを待つ。
カッパドキア二日め。きょうのツアーは我々4人だけだ。
気楽ではあるものの、他の国からの旅行者とのコミュニケーションを
楽しみたかったMはちょっと残念。
ゼルヴェ
最初の訪問地はゼルヴェ。岩山に穴をくりぬき、その岩穴を
住居としたもので、地下都市と同じように迫害されたキリスト教徒が
住んでいた。その後、色々な民族が住みつき、何と50年前危険のため
政府に禁止されるまで住居として使用されていたそうだ。そこの
岩穴はまるでマンションのようでちょっと厳しいクライミングを
する。そこにも教会、食堂、学校、など色々な設備がある。
数十メートルの高さの窓からみえる景色は絶景であった。
アヴァノス
カッパドキアは陶器の街でもある。その中心地がこのアヴァノスで、
良質の土、確かな技術、そして深い伝統に支えられてトルコのみならず
ヨーロッパ中に質の高い陶器を送り出している。
ここではGAZIのガイドのほかに現地の専属のガイドが待機しており、
洞穴のような作業場の中で型の作り方、色の塗り方、焼き方などを
教わり、実際に陶器を作っているところを見学させてもらう。
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陶芸に挑戦する桃。 コーヒーカップを作ったが 残念ながら底がない。 |
その後、ろくろを使って実際に作ってみる。まず、この付近で
ナンバーワンと呼ばれる名人に見本をみせてもらう。そして次に、
他のツアーのインド人らしきおばちゃんがチャレンジ。はたで見ていると
簡単そうだが、微妙な力加減が難しいようで、おばちゃんが作るのは腐った
バナナのような棒状のものばかり。おばちゃんは笑ってばかりで一向に
上達しないようだ。次に指名されたのは桃。こちらもあまりうまく
行かなかったようだが、名人が陰で手伝ってくれ、見事なとってつきの
コーヒカップのでき上がりだ。ところが持ち上げてみると何と底がない。
「ジャパニーズタイプ!」ガイドのジョークも気が利いている。
その後別の部屋にいって売り物の陶器を見せてもらう。壁中にみごとな
陶器、主に皿が敷き詰められ、他に、ビン、小物入れなど色々なものがある。
模様はまさに東洋と西洋の融合というトルコ独自の雰囲気があり、我々の
目を楽しませてくれる。主な利益は出荷するものから得るためであろう、
ガイドは強引に売り付けるようなこともなく、むしろ商品の説明に
熱心だった。値段はトルコの相場で考えるとかなり高かったが、
それぞれ小皿、(M、ハム男、185bin)、鍋敷き(桃、885bin)などを
一割程度の割引で買った。
ギョレメ屋外博物館
博物館とはいっても特に展示してるものはなく、ゼルヴェとあまり様相は
変わらない。ただここは非常に教会が多い。その総数は今でも把握できてない
そうだ。我々が見たものは11世紀から12世紀当たりの保存状態の良いもので、
ヘビの教会、りんごの教会など様々な名前の付いたものがある。
同じように山登りなどをしたが皆やや疲れぎみであまりガイドの話を
聞いていない。英語で会話するのは集中力がいるのだ。Mなどは
サングラスの陰で寝てる始末。最上階で休んでいる時、ガイドの自分に
ついての話、日本語を勉強し始めたことや、今度シンガポールに行くこと、
いつか日本にも行きたいこと、ゆくゆくはトルコを出て海外で生活したい
ことなどを話してくれた。
ツアー後、GAZI TOUR のオフィスで7:00のバスの時間を待つ。先に夕食を
とろうということになって、ジンギスにいくつか店を紹介してもらったが、
結局ガイドブックにのっていた?????という店に入る。料理は
クラティーのソテーのようなものが中心。ところが時間がやけにかかり、
バスの時間に遅刻しそうになる。ギリギリで間に合ったが、別のバスに
乗り遅れていた日本人が「待ってー」とバスを追い掛けて行った。
…そのバスの中では下痢との戦いだった。カッパドキアでわずかな便意を
感じたが、気付かないふりをしてしまえ、とバスに乗り込む。ところが
30分後くらいの停車駅であえなくギブアップ。初めてイスラム式便所で
うんこする。それから数時間ごとに止まる停車駅でことごとく便所に
駆け込む。大きい荷物は荷台に入っているために予備のティッシュが
取り出せない。手元にある貴重な紙、いや神を大事に大事に使う。
シンガポールからの飛行機を思いだす。それでも自分をごまかして
眠ってしまたおかげでやや調子を戻す。