『東京ジャパヌール』




「日本らしさを求めて」

 日本らしい、というのは、ある意味冗談である。 日本とはそもなにであるかということを定めるのが不可能である以上、こういう探求には意味がない。
 とはいえ、観光について言うなら、日本らしさは存在し、またこれを促進するという命題は存在する。
 こころみに海外で発行されているJAPANと題したガイドブックや旅行会社のパンフレットを繙いてみれば一目瞭然である。富士山、サクラ、芸者、、赤い鳥居、金閣寺の彩鮮やかなイメージにあふれている。こういうものをクリシェだと侮ってはいけない。なんならちょんまげをした人を歩かせたいぐらいである。
 ところが、最近の政府肝いりのVISIT JAPANキャンペーンにはこの肝心のことに対する認識がほとんど欠如している。観光にまで経済マーケティングの手法を導入し、インフラ整備やシステムの問題やPR方法を論じている。税関手続きを簡素化したり、外国語による駅の表示を多くしたり、外国語の出来るガイドボランティア制度を奨めるというアイデアだけが横溢し、肝心の、そもそもいったい日本の「何」を見せようとするのかという点がほとんど抜け落ちている。
 ヴェネチアはヴェネチアらしくてなんぼのものという世界有数の観光地であり、観光者に迎合する制度万端を整えているから千客万来であるわけではない。端的に言うなら、もし日本橋が、江戸のままのあの木製の橋(あるいは再現でも)で、車を通さず、歩行者が行き交い、下を豊かな水が流れ、屋形船や猪牙舟が上り下りするような東京の街であるならほっておいても日本にはあと1000万人は観光者が押し寄せるだろう。
 ところが、こういう日本らしい日本を破壊し続けることを先頭に立って旗振りしていた連中が集って、また同じ手法で観光を走らせようとしている。相手にしないほうがいい。

 だから、このゼミで企画したこの「日本らしい」談義は冗談ではない切実なものがあった。
 まじめに考えよう。これが、この本の企画のはじまりだった。東京23区に限って「日本らしさ」を構成してみよう。
 観光的に日本らしいのは、歴史的遺産だけではない。ちょっと昔、といういわゆるレトロ造りもその候補になるかもしれない。あるいは、世界に冠たるマンガやアニメをフィーチャーした秋葉原や渋谷のポストモダン的賑わいもおおいに目玉になりそうだ。庶民の生活があふれている下町商店街や無機質なビジネス街にうごめくサラリーマン群や、ラッシュアワーだっていい観光ネタかもしれない。
 問題は、これらをどう見せるかである。スポットだけでは、観光者には魅力がない。ヴェネチアは、どこをどう歩いても観光気分に浸れる。まず、面で構成していかなくてはならないのだ。日本らしい雰囲気を漂わせている界隈を再構築してみよう。そしておまけとして観光の魅力を発散する「点」もありだ。
 企画をたてるのに春休みをすべてつかった。およその筋が見えたところで、14人は23区を手分けして、徹底的に歩き回った。連日のように都内へ取材に出かけ、ネタを発見する作業を繰り返した。そう簡単に「日本らしさ」がころがっているわけではない。
 こうやってほぼ一年を費やし、夜遅くまで、毎日のように作業をした成果がこの「日本らしさ」のレポート的ガイドブックである。あたらしい東京がこれで少しでも見えてくれば幸いである。
   (ゼミ担当教員・加太宏邦)

←『東京ジャパヌール』へ戻る


retour a la page d'accueil