武州鉄道跡を訪ねて

武州鉄道は、埼玉県の蓮田(蓮田市)〜神根(川口市)間を走っていた鉄道です。 大正13年に蓮田〜岩槻(*1)間が開通し、昭和11年に神根まで開通しましたが、 そのわずか2年後の昭和13年9月に廃止となってしまった、短命に終わった鉄道です。 私は1997年4月28日、あいにくの雨の中、友人Aと共にその線路跡を辿ってきました。
(*1)東武野田線岩槻駅とは異なる場所。東武野田線の方が後に開通したため、 東武野田線の岩槻駅は当時「岩槻町駅」と名乗っていた。

※写真をクリックすると、大きな写真が見られます。



蓮田駅のすぐ南東に残る線路跡地です。JR蓮田駅から南に向かって、 左方向にカーブしています。現在は公民館の駐車場代わりになっています。 写真は南側から、蓮田駅方向を写したものです。

蓮田駅から南東に伸びていた線路は、上の地点から1kmほど離れた所から、 再び跡を辿れるようになります。左の地図の赤い線が、線路跡を利用した道路です。 岩槻市馬込で国道122号の旧道から分岐する道路がそれで、 下の左側の写真の、未舗装の道路です。 線路跡は東北自動車道で分断され、 舗装された道へと姿を変えて南東へ、岩槻市立河合小学校付近まで続いています。 その道路を東北自動車道方向に写したものが、下の右側の写真です。


河合小学校付近で線路跡は途絶えます。次に跡がはっきりとわかる所は、 下の左側の写真の、平林寺公民館への入り口の道路です。 この付近に河合駅がありました。
ところで探索の当日、この周辺を歩いてみたところ、面白い跡を発見しました。 場所は公民館の北西にある畑です。 下の右側の写真は、その畑付近から公民館方向を写したものです。 畑には、道路に対して斜めに土地の境界線がありました(白線)。 そしてその先のプレハブも、その線に沿った向きに建っています。 さらに写真の道路の反対側を見たところ、この境界線に続くように、 建物が道路に対して斜めに建っていました。これは線路跡に間違いないと思われます。


線路は上の地点から南東に伸び、東武野田線の下をくぐって、 岩槻市役所の東側を通っていました。写真は、 国道16号と県道越谷岩槻線が交わる付近にある、線路跡の細い道路です。 道路の延長上にある白丸の建物も、線路跡に建っています。 この付近の航空写真を見ると、線路跡に沿って、 周りと違う向きで建っている建物がよくわかります。


線路は上の地点から、目白大学付近を通って東北自動車道と合流します。 そしてそのまま東北自動車道に沿って南下し、川口市の石神交差点付近に終点、 神根駅がありました。もちろん当時は東北自動車道はありませんでした。 東北自動車道が線路跡を利用して作られたものなのです。 東北自動車道と合流した先は線路跡は全くありませんが、そこまでは、 所々で線路跡を確認できます。その中でも一番わかりやすい跡が、写真の橋台です。 綾瀬川の隣に流れる伝右川の、浦和市高畑付近にあります。


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