【1】 05〜08/APR/2001
U.K.へようこそ

 

05/APR/2001 -Thu- U.K.へようこそ

 イギリス行きが決まったのは1月ごろだったが、出発直前まで名古屋に勤務しており、
まずは名古屋の仕事を片付けるのと住んでいたところを引き払うので精一杯で、しかも
前日まで毎晩飲み会続きとなり、結局ろくな準備も出来ずに出発する羽目になった。
あさ10:15の飛行機なので6:00くらいに家を出なくてはならないが、前日夜からはじめた
モデムのテストがうまく行かず、結局徹夜してしまった。
 飛行機はアムステルダム経由のKLM。この便だとヒースローではなく、直接バーミンガム
空港に着く。荷物をあとから航空便で送ると結構高くつくので、なるべくたくさんスーツケース
に詰め込んできた。ところが、当たり前といえば当たり前だが、飛行機に積み込む荷物は
一人あたりの重量が20kgと決まっており、それ以上は超過料金がかかる。秤に載せると
42.7kgと圧倒的にオーバーしている。(逆に高くついたかな)と思っていると、係の人が
「5kgまではおまけできます」とのこと。ラッキーと思いつつ、金額を計算してもらうと、
「1kg超過あたり6000円で、17kg超過ですので10万2000円になります」。…気が遠くなった。
 そのショックが尾を引いたのか、徹夜したにもかかわらずなぜかあまり眠れない。
とにかくエコノミーの席は狭すぎる。人間の存在する空間じゃないぞ。何チャラ症候群
以前の問題だ。そんなこんなでアムスまでの12時間とB’Hamまでの1時間を苦痛の中で
過ごした。
 空港からホテルまではタクシー。リチャード氏にとっておいてもらったHenleyホテルに
着くと、泥のように眠った。

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使用したHenleyHotel。非常に古い建物だがビジネスでも使われる。
金、土はほとんどパーティーが開かれる。オフィスまでのアクセス手段がなく、大変。

06/APR/2001  -Fri- 着任

 いよいよARUP社の初出勤である。時差ぼけのため、モーニングコールを
待つまでもなく、5:00ごろ目がさめる。
 朝食はコンチネンタルで済ませ、手配してもらったTAXIを待つが、一向に来る気配が
ない。結局セクレタリーのHazel女史に電話し、改めて呼んでもらった。

 ARUPはBlytheBuisinessParkという、B’Hamの郊外のビジネスパークにオフィスを
構える。イギリスではこのように、先進企業でも郊外にオフィスを置くことが一般的らしい。
このBlytheBuisinessParkはかなり新しい一角のようで、まだ建設中の個所がいくつか
ある。ARUPの隣には一際目立つ、Oracleのオフィスがある。
 ARUPの建物は見事の一言である。設計会社の本領発揮か、木目長の、ちょっと
変わった印象。受付でリチャードを呼び、中を案内してもらうが、中は何かミュージアムの
ようにスペースをふんだんに使い、落ち着いた雰囲気が漂っている。
 まずはATGグループの面々に一通り挨拶していく。
なお、MはARUPでは「TAKA」と呼ばれることになった。

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前列左よりクリス、ローランド、アンディ、後列左よりリチャード、ニール。

 その日、昼食にパブに行こうと誘われる。ARUPでは金曜日の昼食にパブに
一杯飲みに行くのは恒例になっているらしい。日本じゃちょっと考えられない。
 しかし、残念ながらこういう場で話についていくのは不可能だ。一対一で話して
くれると何とか聞き取れるが、みんなで盛りあがって話すとほとんど聞き取れない。
一年後に帰るころには、こんな場所でイングリッシュジョークを飛ばせるくらいに英語力を
上達させたいものだ。

 帰りはフィリップの車に乗せてもらい、ついでにいっしょに夕食を食べることにした。
フィリップはMとほぼ時を同じくしてARUPに着任したドイツ人で、現在、たまたま同じ
Helneyホテルに泊まっていることが発覚。思慮深い哲学者である。
 そのフィリップと一緒に、Henleyという、ホテルから最寄の町で、インド料理店へ入る。
しかし時差ぼけと疲れとでほとんど手付かず。
 その後、フィリップが、「ねえ君、ストラトフォード・アポン・エイボンに行かないかい」と
言い出した。シェークスピアの誕生した地で、ここから10kmくらいにある観光地である。
しかし、俺の疲れた様子がわからんか?しかももう10:00まわってるぞ!
  と思いつつも「ぜひ行きたいねえ、君」と日本人意識丸出しで賛成し、行くことになった。
 シェークスピアの育った家というのがあるが、この時間では当然中には入れないし、第一
暗くてよくわからん。しかも雨が降り出し、おまけに車のおいた場所を忘れてさまよい、やっと
車を見つけても今度は帰り道がわからなくなり、散々だった。
 でもまあフィリップはいいやつで、お互いARUPでは新参者なので仲良くやって
いけそうである。友達第一号にしてやろう。

06/APR/2001 -Sat- Shirley

 最初のウィークエンドだが、とにかくホテルから外に出る手段がないので、何も
することはない。改めて、ここでは車は必需品だと感じた。

 そうはいっても、とにかく早く住むところを決めなくては行けないので、最寄の町、
ShirleyまでTAXIで行く。ほとんどの人が車を持っているので、流しのTAXIというのは
存在しない。したがって、行きも帰りも電話でTAXIを呼ぶことになる。
しかも1時間後にうかがいます、とか平気で言って来る。これは自家用車がないと
大変なことになりそうだ。

 Shirleyでまず少しばかりの買い物、水、お菓子など。それから忘れてはならないのが
地図。TAXIに乗ってばかりなので地理が全くわからず、非常に不安定な気分で
あったが、まずは地図を手に入れて地に足がついた。さて、次は肝心の家探してである。
 家さがしといっても、「地球の暮らし方」にあるのはロンドンの事情だけなので、
「居住区域をぶらぶら歩いてLETの看板にあればそこが貸家。電話してみよう」
みたいな方法は不可能だ。車もないし。Shirleyのメインストリートを
歩いていると、結構ESTATE AGENCY(不動産屋)があるが、そのほとんどが
「売家」専門である。イギリス、特にこんな郊外ではほとんどの人は家は買うもの
だと考えているらしい。ちょっと不安になりつつ歩いていると、Shirleyの町外れに
「For Let(貸家専門)」の不動産屋があった。もう引き返そうかと思っていたところ
だけに、幸運に喜びもひとしお。ドアを開け、中に入ると、午前中でクローズするから、
といわれ、残念ながら今日は話をすることは出来なかったが、LETTING LIST、
すなわち物件一覧をもらった。そうそう、こういうのがほしかったんだ。考えてみれば
日本ではアパマンとかに情報がまとまっていて家探しは便利だったが、イギリスでは
あまり頻繁に家を変えることがないのだろう、需要が少ないと見える。

08/APR/2001 -Sun- バーミンガム・シティセンター

 日曜日。車がないのでホントに何も出来ないのだが、ホテルにいると寝てしまい、
時差ぼけがなおらないので、少し歩くことにする。Henleyの町に向かったが、意外な
ことに20分程度で着くことが出来た。街の中をぶらぶらしていると、なんと駅を発見。
鉄道が通っているようだ。路線を見るとバーミンガムまで行く模様。一時間に一本しかないが、
帰りの時間を確認して、バーミンガム行きの列車に乗った。行き当たりばったりで
行動するのも面白い。

 バーミンガムまでは30分くらい。降り立ってみると、さすがにイギリス第二の都市。
人であふれかえっている。こうしてみると、やはりイギリスは先進国なんだなあと思わせるが、
町並みを大切にするイギリス人は、こんな大都会の建物でも古いものを残している。
そう言えばフィリップも同じような感想を持っているらしく、「ごらんよ、この町並みを。まるで
博物館のようじゃないか、君」とか言っていたっけ。
 そのうちいっしょにサッカーをしよう、と、ローランドと話したのを思いだし、靴を一足
購入。もう少しいろいろ買い物したかったが、銀行に口座を開設するまでは現金をあまり使い
たくなかったのでそれだけにして同じ道を帰る。

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たまたま見つけたHenley-in-Arden駅。無人の田舎駅である。

 雨が降ってきた。しかしよく降る。イギリスに来てから毎日、夕方になると降り出す。
日本のように強い雨ではなく、しとしとと降る。で、こっちの人はほとんど傘をささない。
せいぜいフードをかぶる程度である。そのせいか、どこを探しても傘が売っていない。
結局購入できず、そのままずぶぬれになりながら歩いて帰った。ホテルの数メートル手前、
フィリップのVW GOLFがとまり、「あと数歩分、乗っていかないか、君」と長い顔が
窓から突き出ていた。