PART3 −負け犬はバンコクへ−



タイの娯楽の王様、ムエタイ。
国中が熱狂する。



 
帰りは行きほど渋滞せず、3時間程度で桃宅到着。桃妹たちは翌日の朝7:00の飛行機で帰るとのことで、その日はそれ以上観光せず。実はわれわれも長旅で疲れてその日は寝てしまいたかったのだが、相変わらず「負け犬」の手厳しい声に、体を鞭打ってムエタイ観戦を強行することにする。

 桃宅の前でタクシーを広い、ルンピニ競技場へ。運転手は英語ができず、日本人の話すタイ語はまったく聞き取れないとのことで、通じなかったときのためにいろいろな言葉を要していったが「タイボクシング」といっただけで通じ、心配は杞憂に終わった。時刻は6:30ごろ。バンコクの夜のラッシュ真っ盛りの時間である。ある地点からほとんど進まなくなり、第一試合開始の7:00が近づいていらいらしたが、何とか7:00ちょうどに競技場の前に到着。1試合目はあきらめて、もうダフ屋だか正規だかわからないチケット売りの波をかいくぐって、とりあえず屋台に入り腹ごしらえする。Mと桃はご飯に豚肉がどばっと乗ったもの、仏はきしめんのような平べったいめんを食べる。それぞれ30バーツと非常にお値ごろ。相変わらずMはパクチーがだめで、申し訳ないと思いながらもすくい出して残す。仏は、よせばいいのに調子に乗って辛いナム・プラーをたっぷりいれ、例によって汗を30リットルくらいかいている。

 腹も満たされたところで競技場に入る。リングサイド、二階席、三階席とあり、それぞれ800、440、220バーツとなっている。仏たっての望みで三階席に入る。ここはギャンブル目的に入る地元の人たちが利用する席である。

 中に入ってみると2試合目が始まらんとしているところ。ムエタイは蹴り技をが許されるタイ独特のボクシング。最終ラウンドで決着がつかない場合は判定になるが、その際蹴り、膝蹴りなどがパンチやひじうちよりも高ポイントになるなど、蹴り技が重要なポイントだ。しかしムエタイの本質は競技そのものよりもギャンブル性である。基本的にはタイではギャンブルは禁止されているが、ここでは公然と行われている。賭けの制度がよくわからないのだが、5ラウンドあるうち、1,2,3は模様眺めのようで、4,5ラウンドになるとかけ始める。その熱気たるやすざまじいもので、応援している選手のキックやパンチに合わせて「オウッ、オウッ、オウッ」とかけごえがあがる。当然優勢の選手にかける人が多いのだから、優勢の選手に対する掛け声は大きく、劣勢の選手に対しては大穴ねらいの、一部の小さな声しか上がらない。実力本位の、非常にシビアな世界である。しかしはっきりいってムエタイ自体はあまり面白くない。トーナメントの2回戦だった(ゆかこちゃん談)というのもあるが、基本的にクリンチで相手を捕まえて膝蹴りをぽこぽこ食らわせるのが、大きなダメージを受けず、判定の際高ポイントを上げる方法のようだが、至近距離から蹴り上げるだけなのであまり相手にもダメージは与えることができず、結局双方ともロープ際で抱き合いながらごちゃごちゃやっているという印象しかない。7試合見たうち、6試合が判定であった。やはりああいうものは金をかけてこそアツクなれるのである。






 次の日は8:00起床。今日はバンコク市内を観光する予定である。桃宅のあるスクンビット界隈は、王宮周辺の観光の中心街からは離れており、タクシーやシーロを利用しなければならないが、桃ママが当日、バンスー駅付近のウィークエンドマーケットに行くというので、マンションの奥様方の専用車に相乗りさせてもらうことにした。この車の運転手、ティンさんは臆病者だそうで、高速道路に乗れないそうだ。ウィークエンドマーケットまでは高速を使えば一発なのだが、高速で運転すると手がぶるぶる震えてしまうティンさんは大渋滞のバンコクを強引の突き進んでいく。しかし、おかげでゆっくりとバンコクの町並みを見物することができた。

 ウィークエンドマーケット(チャトゥチャック市場)はチャトゥチャック公園を後ろに控える、バンコク最大の市場。観光地ではないが、面白いものが驚くほどの値段で買える。桃ママはこの日、水槽に入れる藻を買いに来たそうだ。

 とりあえずわれわれは目的がないので、桃ママについていってペットショップコーナーに行く。この市場では山ほど店があるのだが、洋服屋、食べ物屋、ペットショップなど同じジャンルの店が固まって並ぶ。お互いに客引きすることもなく、また各店並んでいる商品はほとんど同じものである。お互い競合店のはずだが、あれはどう言う市場原理が働いているのだろう、とちょっとシンクタンクの社員らしいこともいってみてりする。ペットショップでは熱帯魚がちょっとしたブームのようで、日本ではお目にかかれないよな魚もいたりしてなかなか面白い。

 桃ママとわかれ、簡単なお土産などを買ったが、最大のヒットは籐でできたうちわ。この後暑いタイランドをまわるのに際し、ぼろぼろになるまで使い込んだ。

 昼飯を市場の屋台で取った後、王宮付近の観光に向かおう。この辺はすでに二回滞在経験のある仏が詳しく、乗るべきバスを探すのも分けない。

 バスを待っているとき、観光客とおぼしき西洋人の女の子が「Do you speek English?」と桃に話し掛けてきた。われわれは3番のバスに乗りたいのだが、どこで待てばよいのか。「ここだと思うけど。」「サンキュー」…「ただわれわれも日本からきた観光客だから詳しくはわからないよ」と桃が丁寧に答えると、「オー!ソーリー!」。日本生まれ、日本育ちの、生粋の岡山人でもこの顔では地元民と間違えられてもしょうがない。そこから王宮周辺まで向かったのだが、これが大変だった。安い、3.5バーツのエアコンなしのバスに乗ったのだが、当然のように道が混み、バスはほとんど立ち往生。車内はめちゃめちゃ温度が上がり、ほとんど停車しているので窓から風は入ってこない。サウナのような状態の中、ほんのちょっとの距離なのに一時間もかかって、カオサン通りについたころにはみんなグロッキーだった。

○カオサン通り
世界のバックパッカーたちがここに集まる。宿や飯が安いのはもちろんだが、東へ行くもの、西へ行くものの交流点となり、バックパック旅行では最も重要な情報の交換場所となるのだ。もっともバンコクのゆったりしたリズムに浸かってしまい。ぬるま湯の生活から抜け出せず、何の目的もなく寝転がっているものも多い。仏の話によると、西洋人はもっぱらクスリにつかるのだが、日本人はごろごろと日がなマンガを読んでいるのだそうだ。ここのバーで軽食を食べ、シンハービールを流し込んで元気をつける。隣のインターネットカフェで会社にひとやサッカー部のメーリングリストにメールを出したけどうまくいったかな。

ワットプラケオ
エメラルド寺院の別名で知られている。本堂内の、ヒスイでできたエメラルド像は、それにまつわる逸話とともに数多くの観光客、参拝客をひきつける。堂内では靴を脱ぎ、床に座る際も足を投げ出すなどの行儀の悪い行為はとがめられる。1782年のバンコク遷都の際、王朝の護国寺として建立された。王朝自ら管理し、王室および国家的儀式専用の第一級寺院とされる。

ワットポー
ワットプラケオ同様、極彩色の派手な色合いの堂が並ぶ。塔は屋根がとがった形で、日本の仏教寺院とはまったく趣を異にする。このワットポーはリクライニンブ・ブッダ、寝釈迦像が有名。80歳を超え、悟りを開き、涅槃の境地に達したあとの晩年の釈迦を再現している。


ワットアルン


 渡しの船に乗り、チャオプラヤ川の対岸に渡り、「暁の寺院」ことワットアルンに入る。アタヤー王朝時代に建立されたもので、色合いはワットプラケオなどに比べると地味で、違った系統の建物であることをうかがわせる。ここは別名のとおり、夕日をバックに映える塔を眺めるのがいいとされる。そこで川をまた渡って、さらに少し下り、ちょうど夕日がバックになるようなところで船を下りて日が落ちるのを待った。残念ながらやや雲が多く、丸い夕日を背に、という絵は見ることができなかったが、高い塔の後ろに、赤い靄にかすみながら沈む太陽は、雑然とした町並みを象徴しているようで、バンコクの一日の喧騒を静かに締めくくっているのかもしれない。

 一通り重要なポイントをまわったが、何しろ暑い。気温、湿度とも日本より高く、歩いたいるだけで汗だくになる。昼から夕方にかけて観光したので、このころは頭がボーっとしてあまり記憶がない。

 晩飯は中華街で食べようということになる。ちょっと高級かな、とも思ったフカヒレの店に入るがメニューはそれほど高くない。タイ料理にいまいちなじめなかったMだが、やはりチャイニーズはどこの国に行ってもうまい!昼間の疲れもシンハービールでふっとばし、外に出ると、すっかり暗くなった道に多くの屋台がひしめき、無数のネオンが輝いている。架橋パワーはどこの国でも活力にあふれているのだ。