PART4 −古都アユタヤ−

  



 4日目。今日、明日とバンコクの北にある、古都アユタヤに滞在する予定だ。「地球の歩き方」で汽車の時刻表を確認する。ほとんど時間通りにはこないと評判だが、おおよその検討をつけ、8:30発の汽車にする。

 8:00前にバンコクの中央駅、ファランポーン駅に入る。ここでは首に名札を下げた観光案内人が親切にいろいろ教えてくれた。切符を買い、ホームへ向かうと、突然スピーカーから騒々しい音楽が流れ出し、せわしく動いていた人々が突然直立不動で立ち尽くす。何事かと思ったが周りに習ってわれわれも棒立ちとなった。後で聞いたのだが、公共機関では毎朝8:00に国歌が流れ、人々は足を止めることで国王に敬意を払うそうだ。

 約20分遅れで汽車は走り出した。各駅停車だったからかもしれないが、非常にのんびりしていて、駅でもなんでもないところで人を拾ったりする。ドアが開けっ放しで、階段に腰掛ければ外の空気をダイレクトに感じることができる。Mは最後までこの特等席を堪能した。

 2時間ちょっとでアユタヤー駅に到着する。渡し舟でバンコクから続くチャオプラヤ川の支流、パサック川を渡ると四方を川に囲まれた、アユタヤーの町に入る。町は想像していたよりも人や車が多く、雑然としていた。まずは宿を探さねばならない。仏が以前泊まったというゲストハウス(バックパッカーたちの宿)は100バーツ(400円)程度で泊まれるが、もはや負け犬になったわれわれにはそんなところには泊まれない。町の中心部にある、やや高級ホテルのSRI AYUTTHAYA HOTELにチェックインする。ツイン1200バーツ+エキストラベッド200バーツ(4800+800円)と、値段もそこそこだ。

 ホテルで一休みした後、外に繰り出す。相変わらず湿気と気温が高く、すぐに汗だくになる。昼飯は仏の以前と待ったゲストハウス、Old B.J.Guest Houseでとることにする。そこではレンタサイクルもしており、あまり広くないアユタヤの町を回るには絶好だ。

 ゴルゴ13が並ぶ食堂で30(120円)バーツ程度の手料理をいただく。時折出入りする宿泊客はいかにもそれっぽい連中ばかりだ。



緑が多く、平坦なアユタヤは自転車で回るのが
一番。でも暑い…。




 残念ながら身分の保証となるパスポートがないということでそこでは自転車は借りられなかったが、他の店で1000バーツの保証金を預けてマウンテンバイク3台を借りた。アユタヤは緑が多く、ほとんど坂がない田舎道なので、自転車でまわるのは非常に気持ちがいい。ブレーキがほとんど利かないのはちょっと困りものだが。

ワット・プラ・シー・サンペット
アユタヤは1350年から417年間、5つの王朝が栄えたことがある。内陸にありながら水路に恵まれ、中世の東西貿易の重要な交易点だった。最盛期にはヨーロッパや琉球王国とも直接貿易をしており、太陽王ルイ14世の使者が訪れたこともある。寺院などの建造物はバンコクと違い、煉瓦造りで色はあまり派手ではない。長く栄えたこの都も、度重なるビルマの攻撃についに陥落し、宗教を異にするビルマ軍に徹底的に破壊されてしまった。各寺院には大小さまざまな仏像がたくさんあるが、そのほとんどがビルマ軍によって首を破壊されてしまっている。この、ワット・プラ・シー・サンペットはアユタヤ王朝の護国寺で、3つの塔に3人の王が眠る。

ヴィハーン・プラ・モンコン・ポピット
 ワット・プラ・シー・サンペットのすぐ隣にある。この寺院もビルマ軍により破壊されたが1956年、ラマ5世やビルマの寄付で再建された。つくりがアユタヤ調でなく、バンコク調なのはそのせいであろう。中にはタイ最大の仏像が収めてあり、この大きさは圧巻だ。奈良にある大仏とどちらが大きいだろう。

ワット・ロカヤスタ
 ヴィハーン・プラ・モンコン・ポピットからしばらく、曲がりくねった気持ちのよい田舎道を走る。ロカヤスタの他にいくつかの寺院がある。一般にアユタヤの寺院は芝生の中にあり、木が多くてのんびりすごすには最適だ。ワットロカヤスタにもおおきな寝釈迦像があるが、こちらはバンコクのワットポーと違い、屋外にあって雨風にさらされている。
 ワットロカヤスタの芝生をぶらぶらと歩いていると隣の、名もない寺院に出くわした。ここもビルマ軍の破壊にあっているが、一体、無傷のままの仏像が残っていた。高さ5mくらいと、それほど巨大な部類には入らないが、静かに見下ろす表情が印象的で、中世の人々が畏怖の念を持って崇拝し、信仰を深めていった、その像を今現在自分が見上げていると想像すると、時の流れがなんとなく不思議に感じられる。




歴史研究センター
 本当は国立博物館に行きたかったのだが、残念ながら直前の16:00でclosed。そばにある歴史研究センターに行った。入館料が100バーツとバカ高だったがステューデントプライスで乗り切りきる。アユタヤの歴史の資料館で、アユタヤの人々の暮らし振りを再現していたり、アユタヤの交流ルートが時代ごとに示されているなど、非常に興味深かった。また、町並みがほとんど破壊されてしまったアユタヤだが、それを再現した模型があり、自分たちが見てきた遺跡が都市のどの辺にあり、どのような位置付けなのかがよくわかる。

ワット・プラ・マハタート
 アユタヤの中心部付近にある。かつては44mの塔があったといわれるがやはりビルマ軍に破壊されてしまった。頭部が破壊された仏像や、木の根に絡まれたおおきな仏頭がビルマ軍の徹底した侵攻を物語っている。

 

 6:00前に約束通りレンタサイクルに自転車を返した後、ホテルに帰りシャワーを浴びた。芝生を中心に緑が多く、のんびりした田舎のアユタヤは喧騒渦巻くバンコクとはまた違ったタイの一面を見せてくれた。





 アユタヤでの二日目。7:30におきる。8:00、例の国歌が突然流れ、窓から見るとタクシーやトゥクトゥクまでが止まっている。この辺もバンコクとは違うようだ。今日は2:00過ぎの汽車に乗ってバンコクに帰る予定。それまではトゥクトゥクを一台借り切って、今度はアユタヤの外をまわることにする。川に囲まれたアユタヤの外にも興味深い遺跡は多いが、自転車で回るにはちょっときついのだ。ホテルでチェックアウトしていると近づいてくる男がいた。トゥクトゥクドライバーらしい。ちょうど都合がいいが、あまり乗りたそうな顔をすると付けこんでぼられてしまう。ここアユタヤのトゥクトゥクのぼったくりぶりは特にひどいらしく、ほとんどの観光ガイド本で注意を呼びかけている。30分くらいの交渉の結果、一人一時間200バーツを3人で3時間500バーツまでまけさせた。これが妥当なのか、あるいはまだまだ高いのかはわからないが…。

トゥクトゥクを半日借り切ってアユタヤ周部を観光

ワット・パナン・チェーン
高さ19mの黄金の座仏像がある。この大きさで黄金だと圧倒される。現代人のわれわれでさえそうなのだから、古の人々がこれを見て、19mの高さから見下ろされたら畏怖の念を抱かずにはおれないだろう。

日本人町跡
国際交流盛んなアユタヤにはいくつもの外国人町があったが、この日本人町もそのひとつ。家康時代の朱印船貿易で渡った人々が作ったようだ。頭領山田長政はアユタヤ朝の傭兵隊長を経て地方長官まで出世するが、王位継承の争いに巻き込まれ、毒殺される。この日本人町跡地自体は碑があるくらいで特に見るべきものはない。それでも山ほどの日本人であふれていた。

古代アユタヤ王国では軍事、土木に象は不可欠だった。山田長政も象部隊を率いて異国の王のもと戦った。軍馬に比べ機動力にはかけるものの、破壊力は想像以上であろう。かつての誇り高き戦車も、現在では疲れた目で観光客を乗せ歩くだけである。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン
  1592年に建てられた。アユタヤ観光の中心のようで、多くの人が訪れていた。美しい庭園と見事な塔があり、観光客を惹きつけるのもわかる

ワット・チャイ・ワッタナラーム
 のんびりした寺院、遠くに水辺が見える。

 

ワット・プー・カオ・トン
ビルマ政府の援助で再建された、真っ白な塔。残念ながら改修中。

ワット・ナー・プレメン
ビルマ軍の侵攻を逃れた、数少ない寺院のひとつ。本堂には王位をまとった仏像、「キング仏陀」が納められている。

一通り周ってもらい、ホテルでおろしてもらった。ホテルのビュッフェで昼飯を取り、アユタヤ駅へ行く。帰りの汽車の時間をちょっと過ぎてしまったが、そこはさすがにタイの汽車、30分近く遅れたので無事乗ることができた。帰りの汽車は急行で、残念ながらドアは閉じて走るので特等席はない。また、結構混み合っており、一時間半と行きより30分以上短縮してバンコクについたものの、快適な汽車の旅とはいかなかった。