2000/2/10 P-FUNK ALL STARS LIVE

 P-FUNK ALL STARSとしては約5年半ぶりとなる来日。期待は深まるばかりでした。ただ、この前テレビで放送していたWoodstockでの内容が寒かったので不安が少々。


1日目

 今日は、朝から横浜へ出張。自分の都合で午後から直帰ということに無理やりスケジュールを変えてしまった私であった。先日、仙台出張の際にお世話になったA氏と行くことになっていたのであった。彼は、東京が数回しか着た事が無いということなので東京駅で待ち合わせ。連休前と言うこともあってか人が多く、彼は、人の多さに戸惑っていたようであった。
 地下鉄を乗り継ぎ、赤坂到着。5時30分と早めに着いてしまい。客もまだまばらであった。
 会場から漏れてくるサウンドチェックの音に興奮するA氏。(そんなことでは、最後まで持たないぞと心のなかでつぶやく私であった。)
 6時ころ会場整理の人から、「並んでください」という指示があったが、整理番号が260番台だったので、並ばず待っていると、整理番号も呼ばずに会場。そうと判っていれば・・・・。まあ、しょうがないので、今日は後のほうで見ていようと決断した。
 会場に入ると私のファンカ帽子を見て最初に声をかけてくれた人が・・・・。
 
河地依子さんです。このページに来てくれるかたはご存知とは思いますが、数多くのP-FUNK関連のライナーノーツや原稿で私の憧れの人でした。あるページでメールをやり取りするようにはなっていたのですが、お会いする機会が無く今回始めてお会いできました(感激)。ロビーでしばし昔話から最近のP-FUNKの現状までお話を伺い出来ました。チラシまでいただきありがとうございました。
 次に声をかけてくれたのが、FUNKKKさんです。彼は、YAHOOの掲示板で知り合い今回始めてお会いしたのでした。相当のROGER好きで、今回、P-FUNKを始めて見れるとあって相当興奮していました。
 また、そのとき、たまたま、A氏の友達が仙台より着ており、A氏も偶然出会ったそうで紹介してもらいました。
 私が、握手しようとすると、「そうじゃないでしょ」と言って、P-サインを出してくるという気合の入ったやつでした。そんな偶然があるんだなと思いながら、仙台という街は改めてFUNKYな街だと痛感しました。
 A氏も含めると3人が21歳という凄い若い衆に囲まれてしまいました。(笑)P-FUNKもまだ若い衆に人気があるのだと自信を持ちました。 

 今回は、ヨシモトが主催ということもあって、商魂たくましく、いろんなグッズが発売されていました。
Tシャツなどは当たり前で、キャップ、CD、カレンダー、キーホルダー、果ては、サングラスやテディー・ベア-
まで・・・・。さすが、ヨシモトと思ってしまいました。CDは会場限定ということ、そのうち1枚が、最後の1枚ということだったので、内容も確認せず購入。(内容はあとで報告します。)結局最終的に1万5千円ほど遣ってしまいました。(とほほ)

 会場に入ると人は少なくちょっと寂しものでしたが、ほぼ開演時間どおりに始まりました。メンバーは復帰組の Billy Bass Nelson (彼は、 Andre Foxxe の替わりなのかほとんどギターを弾いていた黒い帽子をかぶっていた人)、RUBBER BANDからJoel Razar Sharp Johnson(背の高いほうのキーボード)とFrankie KASH Waddy (ドラマー)、そしてGary Shider(おむつです)の息子さん、トロンボーンのGreg Boyer(現在、Maceoのバンドで活躍中)の後釜(?)テナーサックスのScott Taylor(彼はフルートもこなす)、ボーカルの Steve Boyd(ちょっとマービン似のボーカリストで久々に歌えるボーカルの参加ということで期待大である。)などが新加入であった。(謎の女バイオリニストや私の嫌いな白人ラッパーはいなくなっておりWoodstockの悪夢は払拭されていた。)

 演奏自体は悪くなかった。ただ、多少、大阪からの当日移動ということもあり、疲れているのかなという感じは受けた。FunkentelechyやBop GunやUp For The Down Strokeなど定番の曲でライブは進んでいくのであったが、問題はKnee Deepである。Garryのボーカルパート、Greg Thomas(背の低いアルトサックス兼ボーカル)のボーカルパートと続き、いよいよMichael Kidd Funkadelic Hampton (向かって左にいたギターリスト)のソロいうところで急にAtomic Dogに曲が変わってしまった。
 MichealのギターソロのないKnee Deepなんて、Sex MachineをやらないJBのショウと同じゃ無いか。
結局、最後まで私は乗り切れないままライブは終了した。(アンコールの声も無く・・・)
One Nation Under The Grooveもやらないまま・・・・。たったの2時間15分で・・・・。

 あとで河地さんに教えてもらうと会場の都合でそれ以上使用できないとのことであった。
 そんなことなら、最初からこの会場を使わなくても・・。 と非常に納得いかない私であった。
 しかしながら、若い3人衆は、相当感動しまくっているようで、帰り道呆然と疲れ果てていた。
まあ、始めての生P-FUNKじゃしょうがないかなと・・・・。自分の92年厚生年金会館の時の衝撃を思い出してしまうのであった。A氏を私のアパートに泊めることになっていたので、一緒にアパートへ。到着後、P-FUNKなどのビデオを見ながら就寝。

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次の日へ


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